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“ずっと住みつづけられる家づくり” 滋賀 京都の注文住宅はむらたのいえ

REAL ESTATE近江八幡市 丸の内町 分譲地情報

まちづくりのこと

この地の開発の歴史は、昭和47年(1972年)までさかのぼります。
当社会長の村田が、丸の内団地の近くを流れる日野川の土手に登って見下ろした時、八幡山に見守られている安心感、そして「明るく気持ちのいいスカッとした土地」であった事が決めてとなり、当時は田んぼだったこの地の地主さんに1軒1軒買収交渉を重ねました。

地主さんによる多数決の結果、わずか1票差で売却が決まったのですが、村田はその1票差が気にかかり、「この売却によりみなさんの関係が崩れるようであれば私どもは潔く撤退します」と語り、その後も話し合いや議論を重ねる中で、最終的には円滑な買収となり、その後の開発でも地主さん達には最大の協力者となっていただきました。

開発前、この地にはいくつかの町名が混在していましたが、新しい町の移り住む人たちに町への愛着を持っていただき、町の価値を生み出したいとの想いから数々の手続きを経て、町名の変更と統一を行い、昭和50年に『近江八幡市丸の内町』が誕生しました。


風景づくり条例第一号認定の街並

この街区は、もともと6戸で計画されたいたものを、南側道路に接したひとつの宅地を『プラザ』と名づけた住民共有の庭園とし、その『プラザ』を囲むように5戸の住宅が建築されました。
南に配置された『プラザ』を通じて各住宅は、通風、採光という自然の恩恵を享受されることは勿論、『プラザ』は、街の美しい玄関であり、そして住民の憩いの場、子供達の安全な遊び場、ガーデニングの場、部屋からの豊な眺め等々、様々な役割を担った自然と暮らしのつながりがデザインされた生活空間です。
平成17年12月28日、プラザスタイル丸の内a街区は、近江八幡市風景づくり条例街並協定地区として、第一号の認定を受けました。


※プラザ(plaza)とは?
広場を意味するスペイン語。その源はイタリア語で広場を意味するピアッツァ(piazza)。
人の集まる場所として「丸の内」と同様の意味である事から、タウンネームとなりました。


コミュニティイベント

「丸の内」とは「まちの中心」を表し、「人々が集う場」を意味します。
その町の名のとおり、いつまでも活気があふれた魅力的なまちであるよう、年間を通じて、家族間や住民間のコミュニティ形成をテーマとした様々な住民参加型イベントが開催されています。

丸の内の住民参加型による「フラワーストリート」

丸の内の住民参加型による「フラワーストリート」

食べる・遊ぶ・買う!楽しむ丸の内マルシェ

食べる・遊ぶ・買う!楽しむ丸の内マルシェ

丸の内町は、昭和50年(1975年)から販売を開始。実はそれから30年以上経った今でも分譲と宅地開発は続けられています。
丸の内町の分譲において、他の分譲地と決定的に違うのが、「早急な開発をしない」という点です。
早急な開発は時として、購入者層の年代や収入などが偏ってしまうことがあります。そうなると、経年と共に町も住民も一様に高齢化し、後は衰退するのみという事態に陥ります。急激に成長したものは急激に衰えてしまうことがあるのです。
幅広い層の人が暮らす街には、住み続けることへの安心感があり、いつも新鮮な息吹を感じるものです。その為の「ゆっくり開発」のコンセプトです。
丸の内町では自治会のお祭りやカルチャースクール、フリーマーケット、美術展など住民活動が活発に行われています。 当然、住民同士のコミュニケーションも円滑で、まさに街が生きていると感じます。
そして、お祭りには丸の内町の周りの町の住民にも声をかけ参加してもらいます。丸の内町だけが孤立してしまっては住みやすい街にはならない為です。
丸の内町が「住みたい街」、「住んでよかったと思える街」であり続ける為、ひとりの街の住民としてこれからも、いろいろなお手伝いをしていきたいと思います。

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